アップパパの自己紹介

プロフィール
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アップパパってこんなやつです

1979年4月 千葉県生まれ

子供の頃から体を動かすことが大好きで良く怪我をする少年でした

すぐに思い出すのは、

家族で朝から出かけるときに、出かけるまでのちょっとした時間のヒマに耐えられず外で自転車に乗って遊び、家の横の3mくらいの高台から自転車と共に落下しソッコーで親父に担がれ病院に運ばれるwそしてその日のお出かけは無くなる(泣)

自転車に乗りたくて乗りたくて我慢できずに走り回ってスピード上げすぎて曲がりきれず、膝をフェンスにぶつけて血だらけで自転車を漕いでなんとか家まで帰る(アホw)

裏山で遊んでいる時に1人だったのでつまらなくなり、某スプレー缶とライターを家から持ち出し、ボーッとした瞬間に燃え広がり慌ててバタバタして消したり。。(2度と火遊びしなくなりました。。)

まぁ、田舎のガキでしたw

バイクに目覚める

兄がバイクに乗り始めてからは自転車がバイクに変わり、たくさん乗りました(時代ですねww) 

正直サイコーな気分でしょっちゅう乗らせてもらっていました!兄がバイクから車遊びを始めた時は横に乗せてもらって色々なスポットに連れて行ってもらいました。峠やサーキット、イベントなど。車好きからすると、とてつもない方たちが集まってたんだと大人になってから知りましたが、当時は知る由もなく無知が故にたくさん相手をしてもらっていました。ほんと優しくしてもらい感謝しかないです!

そんな環境なので、当時は小学校〜中学生というなかで大人たちの曲を聴くことが普通でした。小学校低学年でよく聴いていたのは森高千里や中森明菜、おニャン子クラブや初期のユーロビートなど。友達と話がだんだん合わなくなりますよね〜。徐々に影響が大きくなり、弱めのいじめが始まります。でもそんなのどうでもよくとにかく早く帰ってバイクとかの情報を得る、とにかくその日々。たまに外で遊びまくる。そんな感じでした。

小学校5年生くらいだったかと思いますが、かなりキツめのいじめになってきました。(おもいっきり個人的な感想です。)その頃は学校はとにかく楽しくなかったですが、家に兄が帰ってくれば自分をバイクに乗せて出かけてくれるので楽しくて吹っ飛んでました。でも週6日の学校があり、次第に気持ちが辛くなり行きたくなくなりました。この状況を変えるには。とメッチャクチャ考えました。

そんな状況も変えられる

先生に相談したり、仲の良い(と自分は思ってた)友達に相談したりいっぱい話をしてみました。

でも結局なにも変わらないし、むしろそんなに何かをしてくれるわけでもない。じゃぁ自分が変えるしかないんだな!と子供ながらに決めて行動したことを今でもはっきり覚えています。

そして自分で行動をおこしました。すると翌日から一気に変わりました。もともと自分が何か悪いことをしたわけでもないし。だからなのかすぐに変わりました。(先生に呼び出しくらいましたがw) 

そこからは学校も普通になり楽しかったですし、バイクでの夢も広がり、免許を取ってからのことを考えたくさん行動しました。

行動ってなにしたの?

当時は兄がバイクで走り屋をしていて、毎週早朝に峠にでかけます。その時にかならず一緒に乗せていってもらい、現地の雰囲気や後ろに乗せてもらいコースを覚えたり感触を感じていました。後ろに乗せてもらう時はバイクの操作や体の使い方、バランス感覚なども無意識に感じ取っていたことを覚えています。先人がよく言う見て盗め的な感覚でしょうか。とにかく楽しかったです!

この感覚はその後いろんなことに役立っています。というか、クセのようになっていて本当に無意識に周囲の状況が勝手に自分の中に入ってくるようになりました。言語化出来ずごめんなさい。視覚にはいってくることはデータのような感覚でこういう状況なんだと分かるんです。掲示板に表示されている文字や人の行動など。バイクや車遊びをしている時は特に感覚が冴えていました。

高校時代

高校時代に流行っていたのは、安室ちゃんとかあゆとかギャルの時代。男も女もeggとかストニューとかファインとかの雰囲気のが多かったですね。ホットドッグプレスなんてのもありましたね!ちょっとしたバイブル的なw

でもそんなことよりバイクに乗りたい!

自分は4月生まれということもあり、高校になってすぐに免許を取りました。(原付きですがw 中免は親の反対により取れませんでした。) すぐにバイクを買いました、セピアというスズキのスクーターです。自分で公道を乗れる楽しさがたまらなかったです。でもすぐに飽きました。

スクーターって車でいうところのオートマなのでつまらなかったんです。

高校になってからはとにかくバイトしまくってとにかくバイクの為に資金作りをしました。でも高校生の当時の時給は高くて700円。千葉の田舎でしたし。。やってもやっても安かったですねー。今は素晴らしい時給!それにバイトじゃなくてもたくさん稼ぐ選択肢がありますよね!みんな頑張れ!

自分もだ!w

そんなとき、よく通っていたバイクショップの個人売買コーナーに、大好きなHONDAのNSRが売りに出ていた。ソッコーで買いました!オーナーもとても良い人でたくさん話したことを覚えています。

バイクに明け暮れる中18を迎える頃には車の免許に通いました。そしてここから車の時代が始まります。ここは後ほど。

まぁなんだかんだでギュッといろいろ詰まった高校時代でしたが、とりあえず就職も決まったしよかった〜って感じで終わりました。

最高の相棒

高校のバイクの走り屋時代に乗ったNSRが自分のバイク人生の唯一の1台となりました。

乗り始めてからは、すぐに某工業団地に走りに行きました。とにかく毎週毎週延々と。ここのスポットは定期的にレースを開催していて、自分が初めて行ったときもやっていました。

一緒に行った先輩がここのヌシと知り合いだったことも有り、参加してみる?と言われて断る理由もないしやってやる!の根性で参戦

結果3位となり、初参加だったこともあってそこそこ名が知られることとなる。

このこともあり、毎週開催、すべて参加。2回目以降全部 1位✨️気分は最高でした!

これでかなり調子に乗りました。

次なるステージへとスポットを某峠に変えました。もともと兄に連れて行ってもらっていた峠が走りたかったのでいざその峠へ!

走ってみると平坦な工業団地と違い、峠は難易度が高い!兄の後ろに乗っていた感覚とはぜんぜん違う!(当たり前なんですけどね汗) しかも猛者たちばかり。でも負けず嫌いの自分はとにかく燃えました!

そんななかまた、嫌な出来事がおきました。

親友からの裏切り

中学からの同級生でいろんな遊びをしてきた親友からの裏切り

細かい話をするととにかく長くなるのでやめますが、このときは流石におちました。人間不信にもなりました。

簡単に言うと、自分の周りの友達も巻き込みはめられた。って感じです。まぁやられましたね、いろいろと。警察沙汰にもなったしまぁクソ野郎だったことを見抜けなかった自分の甘さですね!でもそんな時に支えてくれた友達がいました!その友達も中学からの同級生ですが、公園に溜まってた同じグループの1人。かなりの仲良しの1人だった。彼はそれからとにかく自分に時間を使ってフォローしてくれました。自分が立ち直るまですごく時間がかかったけどとにかく一緒にいてくれた。彼がいなければ自分という人間は別の人間になっていたかもしれないと思えるほどです。本当にありがとう。

いまでも仲良く関係は続いてます。

まぁまぁなんだかんだで

そんなことがありましたが自分のバイクに対する姿勢は変わらず、気持ちを正常に保つためにも峠は毎週土日の早朝に通っていました。この時間だけは全てを忘れて没頭できた大切な時間です。

とにかく土日をすべて捧げて集中してきたことで、ここの峠で最速という地位を得ました。

ここでの最高位です!

サーキットで行われるレースでいうところのチャンピオンです(イェイ!)

とはいえ、非公認ですし、公道での行為なので良くないことでした。反省。しかし、当時はストリートというカテゴリーがあり、さまざまな業界というか分野で普通にそういう文化があったことも事実です。(正当化するつもりはありません。)そんななか、ここのスポットを守っていきたいという思いもあり、最低限出来ることはないかと考えました。

最速という立場から考えた結果

その場所は多いときでおそらく何百人という人が集まります。当時はタバコも普通に外で吸ってポイッと捨てますし、飲んだ缶コーヒーやらジュースも置きっぱなしなんてこともありました。みんながいなくなる頃には本当にゴミだらけでした。そこで考えたのがゴミ拾いです。迷惑をかけてしまっているなかでも出来ることをしようと行動しました。

ゴミ拾い用のビニール袋を持っていき、走り終えた後にゴミ拾いをしました。最初の頃は両手で4袋はぶら下げて下山してました。まわりの人たちは何やってんの??って感じで自分を見ます。でもそこは長い間通いまくって通いまくってきたんだから、知り合いはたくさんいます。むしろ知り合いだらけ仲良しだらけですw

仲良しさんいらっしゃい!みたいな感じでビニール袋を配るようになっていきました。ちゃんと理由を説明して沢山の方が協力してくれました。その後、ゴミや吸い殻もなくなりめちゃくちゃキレイになったのは嬉しかったです!皆さんのお陰で綺麗にもなったし、少しは貢献できたかなと思いました。

バイクから車の時代へ

バイクの走り屋時代も終わり、18歳になる頃には車の免許に通って無事1発合格!何に乗ろうかといろいろ調べていると兄から「俺の180SX乗る?」と言われ、乗る!と即答。この車は兄が新車で買ってからよく乗らせてもらっていたし、イジることも一緒にやっていたので愛着がありました。他の誰かに乗られるなら自分が乗っていきたいと思ったのです。

そこからは、例のごとく毎週末に夜な夜な走りに行きます。峠や首都圏のぐるぐる回れる高速道路。これもまた楽しくて、最初はあまりうまく乗りこなせなかったですが、バイクの時と同様とにかく通いまくって走り込みました。どんどん上手くなりバトルでも負けなくなりました。

バイクのときと違い維持費などお金がかかるのでとにかく大変でした。今まで以上にバイトしまくって、バイト先も何かと都合の良いガソリンスタンドにしました。いくつかのガソリンスタンドでバイトしましたが、最後にバイトした九州石油は神でした。所長もスタッフのみんながとても温かく、暇な時間は自分の車のメンテナンスもやらせてもらってました。とても感謝しています。その分、めちゃくちゃ頑張って仕事したことは良い思い出です。

就職

高校から専門学校へ進学を考えましたが、いろいろあり就職することに。自分が通っていた高校はおバカな高校でしたがおじさんが働いていた鉄道会社の試験を受けることにしました。(コネとか使えるのかと思ったら、コネだと受からないらしく結局一般で受験。考えが甘かったっすw)結果無事合格!結構奇跡的な採用。高校側も喜んでいた。実績出来たもんね!

1ヶ月の研修期間が終わり配属先が決まる。どこだろうとドキドキ。。辞令はなんと都心の一等地の場所。こりゃ大変なところになったなーと。しばらく働きながら同期と情報交換。やっぱり配属先によって全然環境が違うんですね。でも仕事は嫌ではなかったから頑張りました。駅長とか先輩も優しくしてくれました。でも、1人のおっさん社員が最悪でしたね。なんか自分を思いっきりマークして嫌がらせの応酬。半分暴力的なこともあったり。今の時代だったら一発処分ですね〜w 駅長とか優しくしてくれた先輩にも相談したけどめちゃくちゃ疲れてしまい、半年程度で退社しました。周りからはもったいないとか言われたけど、もうそんな状況じゃありませんでした。

ここからはひたすら稼ぐことを考えました。普通に就職しても安い給料だしなぁって思ってました。若かったし。そんな時に親戚のおばさんからバイトだけど募集あるよ。って声がかかりました。コンビニのバイトだったけど、自分がやりたいだけやらせてもらえるなら。の条件を伝えると、OKもらえたよ。とのことで面接へ。そして無事採用。浜松町で企業ビル内にあるコンビニでした。時間は朝6時から夜の9時。開店前準備から閉店後の締めの作業なので実質5時半くらいから22時くらい。朝9時までが時給900円だったか1000円。9時以降は-100円の時給。月曜から金曜はフルタイム。土曜日は9時〜19時。これで手取り30万以上はもらえてました。

このバイト時代は、ご飯は基本廃棄になる弁当などを食べてました。睡眠不足とストレスで体を壊し、胃潰瘍の直前までになってました。後半は少し時間を減らすように言われたので身体のことも考えて少しずつ減らしていきました。1年半〜2年くらい働き辞めることにしました。

つづく。

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